塾生Mです。
前回は 新しく入った方のスタートクラスでした。私自身のスタートクラスを少し前に男性塾生S氏にやっていただいた時を思い出しました。

今回は先生の施術時に目的意識を持った<何をしたいから、この体をどうにかしたい、ここをこうしたい>という具体的な方向性を持っている方はお年寄りでも毎回着実に改善に向かう、とおっしゃいました。

そこから発展して生き甲斐という言葉が出てきました。
まずこちらの塾生でも大抵の方が主婦という事もあり子供が生き甲斐というのが多いのでは、とでました。 子供は生き甲斐が要らない、そんな風に人生を考えを絞らなくていい自由な方向性と創造力。
思考が固まってくると体まで凝り固まってくる。 
目的意識は目標が定まった時点で既に前にあるものを追いかけていて、自分の通ってきた過去を見ていないという事からも 下を向いておらず、視点も定まっているのでしょうか。 
何才になっても、自分のしたい事や欲しいものがはっきりしてブレないのが人の言葉や噂に左右されず、人生をシンプルに気持ちよく生きられるコツなのかしら、と人生の後半に差し掛かった自分は思います。

視点といえば、近眼の人間は巷に山ほど、小さい頃からメガネをかける子供の数も年々増すばかり。老眼の年齢は飛躍的に若くなってきていて、関節から年を経ると思っていた私の観念を覆して人類は目から年を経る、に変わってきています。

鬱病になった方が鬱時に自分の視界が狭まって、眼球が動いてない事に気がついたと言う逸話はとても為になりました。
この度私事で心配事が発生しまして、かなりの夜を睡眠不足で過ごした結果、目をぐるぐる回すと眼球の可動域が狭くなっている事に気がつきました。
多分このまま毎日を過ごして眉間にしわを寄せて周りを大きく見渡したりする事がどんどん減って視界も気持ちも狭く小さくなって精神的に参ってしまう状態に陥るのか。。。。と何気に道筋が見えてきた途端に気分を一掃する事ができました。

元々、先々の事を考えて心配する事自体自分らしくないのだと本来のO型的な気質が戻ってきました。

体もある時動かしてみて気付いた点を生活に上手く組み込んで使い熟して行く人が学校で習った体育を応用して日常の体育として使えている器用な人。幼稚園、小学校で実は体の動かし方はタップリ習ってきた筈なのに、昔の日本人ほど現代の日本人は西洋化ばかりに追われて、いい点が精神でも体育でも漏れている点がありすぎるなぁと痛感します。

和服の着物は、姿勢が悪いと着崩れが激しいし、和式のトイレは股関節が固すぎると座ってられません。 床に座るちゃぶ台生活は子供には正に理想的で横座りから立ち上がる、正座やアグラから立ち上がる時など下半身をタップリ使って毎日を送る体育的生活なのに、と少し残念に現在の便利な生活を生まれた時から送っている子供を見て思ったりします。