塾生の青柳です。スタート講座を受けてから少し時間が経ってしまいましたが、初めて投稿します。どうぞよろしくお願いいたします。

 

反射とは、「受けた刺激が大脳を介さないで神経中枢から筋肉などに反応となって伝わること」。通常、体を動かすときは脳からの指令を受けて筋肉が動いているが、反射運動の場合は脳の指令無しで動く。つまり、自分の意思と関係なく体が動く。もっと言えば、何も考えていなくても体が勝手に動いていること。例えば、転びそうになった時にとっさに手が前に出る、目の前に虫が飛んできたら思わず目を閉じる、といった体の動きは反射によって起きている。

また、ご承知のとおり、反射には上述の「反射」(あるいは条件反射と区別して「無条件反射」)と「条件反射」とがある。条件反射とは、パブロフの犬に代表されるように、訓練や経験によって後天的に獲得される反射運動だ。身近な例だと、酸っぱいものを見ただけで唾液が出てしまう、揺れたと感じたら咄嗟に蛍光灯を吊るす紐を見てしまう、というのもそれ。(最近の蛍光灯は天井にぴったりくっついているのにもかかわらず、なぜか見上げてしまう。あれ、なんなんでしょうね。あ、条件反射か。昔の経験が体に染みついているのですね・・・年がバレます。)先天的に備わっているか、後天的に身につけたかの違いはあれど、いずれにしても、反射とは無意識のうちに体が動いていることを指すわけだ。

 

さて、スタート講座で伊藤先生は私たちに問いかけました。「反射で生きていませんか?」

 

靴はいつもどちらの足から履くか?階段を上り下りするときはどちらの足から踏み出すか?鞄はどちらの手で持つ?脚を組むときは?いつも何も意識しないで、体を動かしていないだろうか?

 

私は10月末で会社を退職した。それまでの生活は、毎日同じ時間に起き、毎日同じ手順で出かける準備をし、同じ電車の同じ車両に乗り、同じ道順でオフィスに行き、ある程度同じような時間にトイレに行き、ランチも毎日同じ店に行く。そして何を食べるか考えるのが面倒なので、毎日同じものを注文する。店員さんも覚えてくれていて、必ず「食後」のコーヒーを「食前」に持ってきてくれる。食べ終わった後に、コーヒーが出てくるまでの時間を待つのがいやだからだ(なんとゆとりのないことか!)。帰宅の時間こそ毎日同じではないが、来た道を同じように戻り、急いで夕食を摂り入浴して寝る。そしてまた同じ時間に起き・・・と、まぁ大脳の刺激を極力省いたかのような生活。まさに反射的に生活していたなぁと振り返る。たまに出張などがあると、いつもと違う電車を調べることやランチの場所を考えなくてはならないことが面倒で仕方なかったのである。あ、当然ですが、仕事はちゃんと意識を集中させてやっていましたよ!

 

仕事を辞めて無職になってからの生活は、毎日同じということはない。毎日、異なる予定のために異なるスケジュールを立て、異なる方法で異なる場所へ行き、異なる人と会い、異なるものを見聞きしている。そんなこんなで反射で生活するわけにもいかなくなった。そこで、無意識に靴下に突っ込もうとした右足の動きを止めて、左足から履いてみたりする。あるいは、右肩にかけた鞄を左肩にかけなおしてみる。肝心なのは、意識しないと、いつも同じ行動をとっているにことすら気づかないということだ。靴下をどちらの足から履いているかなんて、これまで気にしたことすらない。左肩にかけた鞄は持ちにくくて堪らない。自分の行動を意識して生活してみること、これこそ即ち、反射で生きるのをやめることである。整体、という観点から言えば、自分の体の運動を意識する、ということであろう。

 

 最後に、誤解のないよう記述するが、反射運動そのものは少しも悪いものではない。前述のとおり反射とは、転びそうになった時にとっさに手が前に出る、目の前に虫が飛んできたら思わず目を閉じる、といった体の動きのことで、これは危機回避や生命維持のために必要な体の機能である。必要なときには体が勝手に動いてくれるのだ。安心して反射生活をやめてみよう。

 

 では、締めに整体川柳。

 

 知っているようで知らない我が体


よく出来ました