塾生の青柳です。

 我が家には2頭の犬がいる。ミニチュアダックスとチワワだ(ミニチュアダックスの方は、本当はチワワとのミックスなのだが、チワワの血はどこにいってしまったのか面影がほとんどないため、面倒なので人に説明するときはミニチュアダックスと言っている)。共に11歳。次の春で12歳になる。
 チワワの方は、以前より心臓に疾患があり薬で抑えていたが、年末に急に過呼吸状態になり失神してしまった。すぐに意識を取り戻したが、それ以降、何も食べず、わずかに食べても吐き、薬も飲まなくなってしまった。水を飲んでも吐いてしまう。胃の中に何もないから水しか出てこないが、苦しそうな声を出しながら吐いている。すっかり痩せてしまい、胸のあたりを触ると弾力を失った皮膚のすぐ向こうに肋骨があるのが分かる。肋骨の内側では肥大した心臓が大きく、そして凄まじい速さで収縮を繰り返し、横たわった体のすべてが心臓になってしまったかのようだった。呼吸するだけでも苦しい。私がその状態にあったなら、もういっそ殺してくれ、と言うかもしれない。生きてほしい。少しでも一緒にいたい。そう願うけれど、それは私のエゴだろうか。そんなことを思いながら虚ろになった彼女の目を見つめていたら、母は彼女の体をさすりながら、「苦しいね。たくさんがんばったね。もうねんねしていいよ」と言って泣いた。もう最期だろう。私たちは覚悟していた。
 それでも、彼女は諦めなかった。毎朝病院に連れて行き、注射と点滴を打ってもらう。注射には吐き気止めも含まれており、少しずつ食べられるようになった。家族は、食べた!と言っては喜び、彼女を目一杯褒め、うんちが出た!と言っては大喜びし、うんと褒めた。このところずっと垂れ下がったままだった尾を振るようになり、虚ろだったその瞳には子犬のころと変わらぬ輝きが戻った。動物は強い。生きることだけを考えている。私たち人間の方が、先に諦めてしまっていた。本当に申し訳ないと猛省している。そして、生きてくれてありがとう、と心から思う。部屋のドアの磨りガラス越しに、そのドアが開くのを待っている影が2頭並んでいるのが見えると、嬉しくなる。「あぁ、二人(頭)とも元気」と安堵する。普段は何とも思わない、そこに居ること、在ること、それが当然のように思ってしまっていること。大事な人、家族、友人、そして健康。失いそうになると、はっと気づくことも多いけれど、幸せはいまここに確かにあるのだ。
 そんなわけで、彼女の病状はまだ油断は禁物ではあるが小康状態。毎日病院に通った甲斐もあった。我が家の犬達は大の車嫌いのため、病院へは母がスリングを使って抱いて行くのだが(私ではなくママが良いみたいで交替できず…)、往復の時間と病院にいる時間を合わせて毎日1時間、犬を抱いていると軽いチワワといえども肩が凝る。肩が痛いと言っている母に、ストレッチを教えてみた。両腕を後ろに回して手を組み、手のひらが地面と水平になるように返しながら少し上に引き上げると胸筋がストレッチでき、肩の凝りも少しはほぐれるのではないかと考えたからだ。早速、実践してみる母。が、できない。できない?なぜ?やり方間違ってるんじゃないの?ともう一度やってもらうが、できない。無理やり手を持ち上げたら、「痛い!!」と言われてしまった。このことを、先日の講義の際に皆さんに相談させていただいたところ、タオルを使った方法を教わりました。そして、「できない人に無理やりやらせたらダメですよ」と伊藤先生からのご注意も…。ストレッチは無理しないのが鉄則!!母よ、申し訳ない。タオルを使ったやり方をすぐに伝授したが、以前痛がらせてしまったのでどうも警戒気味のようだ。3、4日経って、肩の調子を尋ねたところ、「治った」とのこと。しかしその理由は、犬が自宅でも薬を飲めるようになり安定してきたため、この3日間病院に行く必要がなかったからの模様。そうですか…ヨカッタネ。ま、痛みがないなら何より!

 ここまでが、1月18日に書いたもの。翌日校正して、アップしようと思っていた。しかし、翌朝、事態は急変した。早朝に発作が起き、彼女は亡くなった。これ以降は、その後に追記したものである。整体塾のブログの内容としてはテーマにそぐわなくなってしまったけれど、個人的な思いにより掲載させていただいた。

1月19日
 温もりの残るその体に、顔を埋めて思い切り匂いを嗅いだら、まだ生きているみたいで、涙が出た。もうすぐ、消えていく。いまは、少しずつ硬く、冷えていくのを見守っている。名前を呼んだら、尾を振るかもしれない。おやつの袋を開ける音がしたら、駆け寄ってきて「ちょうだい」をするかもしれない。そんな気がするけれど、開かれたままのその目に光が戻ることはない。だけど、もう苦しくないね。がんばったもんね。ウチの子になってくれてありがとう。今日は、まだお家にいてね。明日、お別れだね。向こうに行ったら、あの子を見つけるんだよ。そうしたら、淋しくないから。
 実は我が家には、もう一頭、シーズーがいた。数年前に旅立ってしまったけれど、優しい子だったから、きっとこの子を見つけにきてくれるだろう。

1月20日
 葬儀は、シーズーがお世話になったところであげた。散歩用のリードと大好きだったぬいぐるみと、小学校1年生の姪っ子が書いてくれた手紙、そしてたくさんの花びらに囲まれて横たわる彼女に、家族はそれぞれ最後のお別れをし、火葬炉に入るのを見送った。またね、またいつかね。よく晴れた空を見上げたら、軽やかに空を駆け上がっていく彼女の姿を見た気がした。あぁよかったね、思い切り走ったの、久しぶりだねぇ。火葬が終わると、彼女の骨は銀色のトレイにきれいに並べられていた。頭、歯、頚椎、胸椎、腰椎、尾、脚。頚椎は犬も7個なのか、人間と同じだなぁ。尾の骨ってこんなに細かくてたくさんあるんだ。そんなことを思いながら、家族で交互にお骨揚げをした。骨は、家に持ち帰りシーズーのそれも眠る庭に埋める。

1月21日
 Life goes on. 悲しんでばかりいるわけにはいかない。こういう時に、日常というのは有難い。仕事、学校、趣味に娯楽、何であれ気が紛れることは大切だ。しかし一匹ぼっちになってしまったダックスちゃんは、どんな時でも一緒だった相棒がいなくなって何を思っているだろう。時折、虚空を見つめては鼻先を動かし、何かの匂いを探しているような仕草をしている。彼女には家族しかない。だから、いままで以上に一緒の時間を過ごそうと思う。いつか必ず訪れる、その日まで。

 一句。

 じいさんが 死んだときより皆泣いた


良くできました