塾生の青柳です。
MMの講座では過去分析を行いました。個人的には、自分の過去をほじくりかえす作業はさることながら、他の塾生の皆さんの話を聞くことに、より気づきがあったように思います。というのも、皆さんが必ず話題に出す部活の話が、自分の場合はすっかり抜けていたこと(6年間もテニス部だったのに…)や、自分はルーティンを好むがそれを好まない人もいるということ(というか、ルーティンが当然過ぎて、生活ってそういうもので、みんな同じようにやっているものだと思い込んでいました)など、他者が在りて初めて自己を知ることができるのだということを実感した授業でした。と同時に、人の話をあまり聞かずに生きてきたことを少し悔い改める今日この頃であります。なんでも自分一人でやってきてしまった結果、人がどうしているのか、良くも悪くも気にしてこなかったのかもしれません。一方で、気になる個体にはトコトンこだわるので、「早く子どもを産んで研究のモチベーターとすべし」という衝撃の結論に至りました(迫真)。

過去の断片を拾い集めて、根幹となる自己を知る。昔のことを思い出しながらこの作業をしていたら、あぁそんな話があったよなーと、中学校の教科書に載っていた大岡信さんの「言葉の力」を想起しました。皆さん、覚えていますか?読んだはずですよ!義務教育ですから。忘れた方は、ググってください。いくらでも原文にヒットします。ググるのも面倒な方のために要約するとこんな感じです。京都の染織家が見せてくれた、美しい桜色に染まった着物の色。それが、桜の花びらからではなく桜の木の皮から取り出したものだということを知って衝撃を受けた筆者は、桜は木そのものが全身で色づき、我々が目にするピンクはその先端である花びらに表出したに過ぎないものだということに気づきます。それはまさに我々が発する言葉も同じで、言葉の一語一語はそれらを生み出す大きな幹を背負っているのだというお話です。過去分析の作業も、自分が取り上げた事柄の一つ一つが一枚一枚の花びらで、そこから導き出される「自分とは」が木そのものだな、ということを感じました。

大学生は就職活動にあたって、自己分析をやります。しかし、残念なことに花びらをかき集めて木の色を知るというよりは、企業が求めていそうな要素を含んだ花びらを抜き取ってさらに恣意的な色づけをしてしまうので、自分の本当の色を知ることができないように思います。拾わなかった無数の花びらにこそ、ヒントがたくさんあったりするのかもしれません。リーダーシップも協調性も、採用担当者は聞き飽きているでしょう。それに、リーダシップも協調性もない私が企業でそこそこ楽しくやってこれたのだから、別に自分の持っている花びらに無理やり色づけしてアピールしなくてもよいのです。企業側も、万人が共感できるような理念を掲げながら、求める人材像は「私たちの理念に共感してくれる人」みたいなことを言うのはやめてほしいですね。と思った瞬間ですよ、あ、自分のウェブサイトに載せるコンセプトも似たようなものだな、あれじゃまだぬるいワ、ということに気づきました。人の振り見て我が振り直せ、です。

花の色は とはにうつらず けざやかに


よく出来ました