塾生の青柳です。
先日の授業で、先生には整形外科医のお知り合いがいるというお話になったので、私はヒートショックを肌に与えて新陳代謝を促すことで顔のリフトアップをできるやつがやりたい、と言いました。そうしたら、代謝を早めるということは老化を早めるっていうことですよ、いいんですか?と先生が。えー、そうか。わりと悪魔の契約ですよね、それって。でも例えば、来週、超大事なパーティーがあるからどうしても!とかなら、それでもいいかな、とも思います。だって、数年後の多少の若さより、来週の自信に溢れる私の方が大事じゃないですか(なんのパーティーに行くつもりなんだ)。

私のくだらない野望はどうでもいいとして、これが悩みになる場合もある。いつだったか忘れましたが、授業の際に、塾生さんのお知り合い(男性)で薄毛に悩んで女性ホルモンを注射している人がいるというお話がありました。そんなことはやめた方がいい、という結論になりましたが、私はそうでもない気がします。そりゃ、「薄毛の自分を受け入れて前向きに生きろ、あなたの薄毛を気にしているのなんてあなた自身だけで、他の人は誰もあなたの薄毛のことなんて何とも思っていない」と言うのは簡単です。でも、薄毛に囚われている人にそんなことを言っても無意味です。薄毛は病気ではないけれど、薄毛に囚われている状態は心の病気です。その囚われから解放してくれるのが女性ホルモンで、フィジカルにはよくないかもしれないけれど、メンタルが救われるのだったら、それも一つの選択肢としてありなんじゃないかと。

高校生の頃、いわゆる「受け口」のクラスメイトがいました。のんびりした校風でしたし、誰かがそれについて何か言うようなこともないし、本人が気にしている様子も特にないように見えました。でも、夏休み明けに、彼女の顎はとてもすっきりしていました。年頃の女の子。気にしていないはずがなかったのですね。「手術したの!」と明るく話す彼女は、無理にそう振る舞っているのではなく、心から明るく笑っていて、キラキラして見えました。私の生活において、彼女の顎の形がどうであろうと無関係なのでどうでもいいことですが、それでも「よかったね」と心から思いました。彼女は自分の顎への囚われから解放されたのだと思います。

若く見えた方がいい、髪はフサフサの方がいい、鼻と唇と顎を結んだ線がEになっているといい。そうした概念に当てはまらないから美しくない。そんなふうに思う必要はない!けど、そう思ってしまう気持ちもよく分かる。一度そう思い出したら、どんどん深みにはまる。

手力整体塾では、「健康とは何か」いつも自問するようにと言われます。私がいまのところ出した答えは、「何事にも囚われ過ぎていない状態」が「健康」。「美」は特に、その囚われになりやすいテーマですが、「痛み」もまたその一つ。胆石ができたときは痛くて痛くて、それしか考えられませんでしたからその時の私は健康とは言えません(当たり前)。肩こりがひどくて、どこにも行きたくない、何もしたくない人は病気かもしれませんが、何か好きなことをしているときだけは肩こりを忘れられるというなら、病気と健康とを行ったり来たりしているのかもしれません。

健康とは何か、自問し続けることは必要だけれど、「健康とはこうだ」と決めつけて、当てはまらないあなたは病気だ、と思わせてしまうような発信は絶対にしないようにしようと思う。健康になってほしいと言いながら、病気を作り出しているだけだから。それに、一般的には健康に悪いことも、その人にとっては健康への糸口だったりするかもしれない。決めつけない、囚われない、そんなふうに生きていれば、あえて健康など目指さなくてもいいと思います。

最後に余談ですが、「美しさは内面から」とかいうフレーズはクソだと思います。美しい内面てなんですか。仏様のことですか。欲と煩悩にまみれた私は成仏したら美しくなれますか。


よく出来ました