塾生の小野寺道枝です。

新入生が入り、3回目の基本講座を受けた。覚えの悪い50代には、これくらいやってやっと染み込んでくる。この日、3回目にしてようやく自分の中に落とし込めたことがあった。

「畑も人の身体も余計なことはしない方がいい」

この日、ヨガで筋肉痛だと言った私に先生が「それ行かなくてよかったんじゃない?」と…なんでだ?…このことをきっかけに考え始めた。

そのあと、自然農の話で「畑も人の身体も余計なことはしない方がいい」と聞いて、もしかしてヨガが「余計なこと」だってことかな?と…

畑にとっての「余計なこと」とは、雑草が放っておいても育つように野菜も必要以上に手をかけなくても自然の力で育つのに、肥料を与えたり農薬を散布することで返って自然の力を発揮できない状態にしてしまうこと。それと同じように、人にとっての「余計なこと」も、必要以上に手をかけてしまうことで返って健康から遠ざかってしまうことなのだろうが、その「余計なこと」とそうでないものの線引きはなんだろう?何に対しての「余計なこと」なんだろうか?

「整体は、身体を本来の形(骨で立つ形)に近づけること」
その後、整体とは?の話で「何に対して」の答えが見えてきた。

骨で立つ(解剖学的0度)に近い状態だと、重力に対する抵抗も少なく、身体を自由に動かすことができる。整体はこの状態を目指している。その結果、痛みがとれたり、スタイルアップにつながったりする。すなわち、目指すべきは、骨配列を整え身体本来の形に近づけることなので、その目標に対して「余計なこと」はしないほうがいいということではないだろうか?そう考えた時に浮かんだ言葉が…

そっか!じゃあ「骨で立てばいいんじゃん」



「骨で立つ」
「骨で立つ」なんてことは、先生は今までもずっと言ってた。私もわかっていたつもりだっだ。
でも「身体の形」が気になって気になる部分にアプローチする方法をいつも探していた。
反り腰・O脚・猫背などを改善するには?と、「~に効くエクササイズ」みたいなものを、ネットやYouTubeで検索したり、本を読み漁ったり、しまいにはセミナーを受けに行くなどして、いろんなジャンルの人たちが作り出した様々なエクササイズを試し、訳が分からなくなっていた。
そういうことが「余計なこと」だったのか⁈

これでもうブレない。「骨で立つ」は、ゴールでありながら実践プログラム。
日常的にどんな動作をしている時も、骨の配列を意識するだけのお金も時間も要らないコスパ最強エクササイズ!!
あーなんてすがすがしい気分!脳を断捨離できた感じ!

「ちょっと待った!」
「骨で立つ」はいいアイディアだが、これだけで身体が整うなら、整体師も運動指導員も要らなくなる。やはり長く生きていれば身体の使い方の癖により縮こまった筋肉や引き伸ばされた筋肉が存在し、骨で立つことを邪魔する。その筋肉を見つけ出してアプローチする必要はありそうだ。

では、その邪魔する筋肉を見つける手段は~と考えること20秒…「あっ!視診・動診」
難しく考えて苦手意識のあった「視診・動診」、逆算したらすごく理解しやすくなった。
「骨で立つことを阻害してる要素を見つける」…そっか…(;'∀')

「まとめ」
手力整体塾で学ぶこと10か月、今更言うか?というブログになりましたが、やはり50代にはこのくらい時間が必要なのか…

とりあえず、この日から「骨で立つ」を実践している。まだ数日なので当然身体に変化はないが、立っていて地面とつながっている感じはする。座っている時も常に座骨を感じる。もちろん、上記したように、筋肉が硬くなっていて思うようにならない部位もあるが、骨を意識するだけでも少しづつ変わってきそうな予感はある。


よく出来ました